時代をつなぐ対論 君たちは建築をどう生きるのかモダニズム、1970年代以降、東京
伊東豊雄×中川エリカ×堀越優希×山田紗子
企画・モデレーター:真壁智治
「近代」と葛藤してきた建築家・伊東豊雄と次世代の建築家との都市、建築をめぐる対論。モダニズム、そして1970年代以降の東京を起点に、私たちはどのように建築に向かおうとしているのか、その意識を探る全4回。
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Section 1 私は建築とどう向き合ってきたのか伊東豊雄が建築にどう向き合ってきたのかを語り、若手建築家とディベート
[前編]伊東豊雄「私は建築とどう向き合ってきたのか」
1976年 流動空間を発見する|1984年 消費社会に建築は存在するか|1995年 建築の中にもうひとつの自然をつくる|2011年 近代主義の限界を見る|2025年 世界は均質空間に覆われた
[後編]対論(伊東豊雄×中川エリカ×堀越優希×山田紗子)
建築の美しさとは何か|流れと淀み|人々を受け止める不均質な空間|閉塞した都市に向き合う|消費社会で建築は可能か|美しさの質と価値|建築家が期待されない社会|時代のスピード感の変化
日時:2025年11月11日(火)
会場:伊東建築塾 恵比寿スタジオ
「Section 1 私は建築とどう向き合ってきたのか」を終えて
中川エリカ
冒頭の伊東さんのレクチャーでは、下記の5つのトピックスが示され、伊東さんご自身による建築の解説・当時考えていたことに関する生の言葉が語られた。
- 「私は建築とどう向き合ってきたか」_中野本町の家(1976)
- 「消費社会に建築は存在するか」_シルバーハット(1984)
- 「建築の中にもうひとつの自然をつくる」_せんだいメディアテーク(コンペ1995~竣工2001)
- 「近代主義の限界をみる」_みんなの家(2011)
- 「世界は均質空間に覆われた」_(2025)
伊東さんのとても具体的な言葉は、テキストとは異なる強さがあった。その中でも特に私が強く印象的だったのは、中野本町をつくったことで、流れと淀み・流動性への興味の芽生えがあり、それ以降壁を減らす方針になった/都市・社会に対してもっとポジティブでいたいと思いシルバーハットに向かった/東京で「生きられた家」は存在するのだろうかという疑問を持っていた/受け入れられなくても美しいものをつくるんだという思いで仙台のコンペに応募した/竣工したせんだいメディアテークは模型の美しさとは違ったが、使う人が軽やかに受け止めて使ってくれているのをみて人生観が変わった/今、世の中は技術の発展に未来社会としての希望を持っているが本当にそうだろうか?/グリッドに覆われることについてどう思うのか? などである。
トピックス⑤では問いのみが示されたことからも、第2回の対話としては、⑤における自分なりの姿勢が問われていることを強く感じている。その上で、対話の第1歩として、第1回のレクチャー後に会場でも少しお話しした、自分の原風景の話をしてみたい。1983年生まれの私が小学生だった1990年代、東京の大通りの裏にはズルズルと繋がるあいまいな領域が確かにあった。そこではグリッドとは違う形で合理性を求める人間の考えがそのまま街の風景となり、公私が混合することによる独特の体験があった。私は家に住みながら、同時に、そんな街にも住んでいた。物や体験には言葉ではカバーできない言語領域があるはずだ。だからこそ、この幼少期にみた原風景は今の私の建築の問題意識に確かにつながっているのではないだろうか。
伊東さんに習って、極力具体的に話すことから、議論をはじめ、深めたい。
堀越優希
伊東さんのこれまでの設計活動は、社会を批判して終わるのではなく、現在の状況をポジティブな態度でうけとめつつ、社会に問いをたてていくという姿勢で貫かれている。建築家は、造形的なスタイルを持つことの以前に、一人の人間として真摯に社会と向き合うべきだということを示しつづけてくれている。今回のレクチャーが「2025世界は均質空間に覆われた」というタイトルで、現代の都市空間に対する痛烈な批判で締めくくられたことは驚きであったが、これはそんな伊東さんであるからこその、我々の世代に対する問いかけであると感じた。
自分がまだ子供だった頃、欧米の都市景観は調和があり美しいが、日本の都市景観には秩序がなく、どうしようもない醜悪な風景であるといった評価が通俗的な考え方であったように思う。現在は、もう少し多様な価値観が広まりつつあるように思えるが、まだ上の世代にはそのような感覚の人々が多くいるように感じる。
80~90年代に東京の只中で幼少期を過ごしてきた者からすると、こうした話を聞くたびなるほどと納得する一方で、これまで育ってきた自分自身の中にある風景を否定されたような気がして、声に出すことは憚られつつも密かに反感をおぼえていた。大学で建築を学ぶようになると、都市の中にも地形が描き出すような大きな風景が隠れていて、それらは埋もれて見えなくなってはいるものの、日常生活の中で不意にその片鱗が顔を出すような状況があることに気がついた。卒業制作では崖線の地形に残った植物園を中心に、まちなかに埋もれてしまった地形がつくる大きな風景を体験的に取り戻すという計画に挑戦したのだが、いまだに自身が関心を寄せているテーマは変わっていない。
建築事務所で働くようになると、深夜、都心を歩いて帰ることが気分転換にちょうどよく、自分の中での密かな楽しみであった。都内の実家に暮らしていた私は、なるべく地図を見ずに毎回違う道を通ることと、繁華街は避けて通ることを決め、週に1回は六本木から北に向かい3時間ほどの道のりを歩いて帰っていた。その時間帯はほとんど路上に人がおらず、すれ違ったとしてもバイクの新聞配達員かタクシーくらいのものだった。ひっそりとして人のいない路上では人の目を気にする必要がないので、次第に普段とは歩き方やリズムが変化していき(やや不審ではあったかもしれない)、都市の風景を大いに楽しむことができる。そうなると、日常とは少し異なる感覚が呼び起こされるようになっていき、まちなかの普段気にもとめなかったようなことが気になり始めるようになる。歩きたくなる面白い場所は整備された大きな道よりも入り組んだ細い道である事が多く、昼間は住人の気配が気になって通れない小道でも、割とすんなりと入っていくことができる。そのようなルートには細かい設えの変化や地形に対する工夫がみられ、日中そこに居たと思われる人々の痕跡が見つかることも多く、無人の東京はとにかく飽きることがない。頻度は減ったが、今でもたまに歩いている。
東京は超巨大であるがゆえ、中心性を持つ様々な力場が点在しており、その結果周縁的な場所が細かく複雑に入り組んで存在している。周縁的な場所では、現代の日常生活を便利にしたり、快適にしたりすることとは全く異なる理屈の風景が突如としてあらわれることがある。そこには、部分的ではあるが都市の外部といえるような状況が生じているように思われる。一見して外部のない巨大な内部空間のように思える東京であるが、スプロールした面の内側には意外と複雑なムラがあり、裂け目のような細かく分散した外部を内包しているところに面白さがある。もちろん、結果的として生じたに過ぎない状況を無批判に面白がるだけではあまり意味がない。裂け目の奥に見えなくなってしまった、都市の外部につながる大きな風景をみつけ出すことが大事であり、そこでは空間への嗅覚を身につけた建築家の能力が役に立つ。ある場所を起点に少しでも大きな風景を再構築し、現代の社会とは異なる時間が流れる場所を生み出すことができれば、それこそが均質空間へと向かう流れに抗う起点になると考えている。

山田紗子
伊東さんが1970年代の東京を肌で感じながら「消費の海に泳ぐ」ごとくシルバーハットを発表した1984年は私自身の生まれた年である。当時の東京の空気を直接体験することはできないが、東京のファッションやデザイン、写真、アートといった表現の世界が消費者を刺激し、受容されていた当時の熱狂を思うと、その中でものをつくることの恐ろしさも想像に難くない。
第1回の対論で、「そこから40年経った今でも、私たちを取り囲んでいるのは消費社会で、目まぐるしく流行が移りゆく中でいかに建築を問えるかは、私たちが向き合っている問題でもある」と発言したが、伊東さんから、当時の消費社会と現代の消費社会では、我々に期待されていることが異なる、もはやクリエイティビティは求められていないのでは、と指摘を受けて少し落ち込んだ。40年前の東京を体験してみたかった。だけど伊東さんが言うように、私たちは今置かれている状況を知り、そこから建築に向き合っていくしかない。そして現在の東京で建築をつくっている建築家への言葉「表層だけやるんじゃない、と言いたい」この言葉の真意もそこに関係あるのだと思う。
一方で、建築の内部に抱えるものに対して、求められている充実を実現しようとするあまりサービス過多になっていくことに、これは建築なんだろうか、建築に向かい合っていると言えるのだろうか、という戸惑いがある。2011年の大きな転換点を超えて、建築家に期待される役割は増え続けているように思う。そのような状況で、建築自体もやはりそれをつくりだす人間と同じようにたくさんの仕事を抱え込まないといけないのか。このあたりの疑問を伊東さんとお話ししてみたい。
もう一つ、魅力的な都市の中で、表層の体験(道や建物の外を歩いているときの体験)は欠かせない。表層を考え、つくることはそのまま都市をつくることにつながっていくと思うのだが、今、東京の表層はどのように捉えるべきか。ヨーロッパ的な幾何学的統一が目指されるべきではないと思うが、建物各々の表層の議論すらないままに出来上がっていく都市の風景は貧しい。
伊東さんは90年代から国内の公共建築をつくり始めて、2000年のせんだいメディアテークなど、創造的な構造によって流動的な空間を実現してきた。都市の中に建つ、せんだいメディアテーク、ぎふメディアコスモス、台中国家歌劇院。これらの内部体験はどれも、その建物の中に入った瞬間に異世界に迷い込んだような唯一無二のものである。一方で、これらの表層は都市に向けて構造や空間の形式の断面を露出するという、一貫した態度がある。伊東さんが都市に建つ建築の表層について、どのように考えているのかもお聞きしてみたい。

